今年、本土に上陸した台風は二つ、幸いにも両毛地区では大した被害も無く過ぎた。
半世紀前の昭和22年、同じコースを辿ったカスリーン台風は渡良瀬川沿岸を襲い、矢場川村の全域、毛里田村の大半と休泊村が浸水した。足利中心市街地の九割が濁流に飲み込まれ、沿岸の死者実に七百人を数えたのである。当時の新聞は『足利は地獄の惨状』と報じている。その水害で激流に晒された「川中島」の岩井山(54メートル)が八幡山古墳群の向こうに見える。足利領主長尾氏の支城「勧農城跡」でもある。何事もなかったように渡良瀬川が流れ、安穏に今を暮らせるのも上流の草木ダムがあるからである。公共事業に反対し、ダム不要論を唱える向きもあるが、旧建設省などの地道な治山治水対策があって日々の安全な生活がある。岩井橋の袂に慰霊の「大願地蔵菩薩」が祀られている。災害を決して忘れてはならない。 |
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