『山桜 かの日恋しや 茶臼山』(詠み人知らず)春霞の先に、桐生・旧菱村、観音山(308m)が望める。
「麓に観音安置したる寺あれば、山も観音山と呼ぶとぞ…」江戸天保2年(1831)、桐生を訪れた洋学者渡辺崋山は「毛武遊記」に記している。「…水車そこはかとなく架渡し、繰糸の労をはぶく…いと物静かなる中に水車と機声とうちまじり…」桐生は水車と機織る音が聞こえる、近隣の村の養蚕を背景とした紡績工業の在郷町として、既に繁栄していた。
桐生領の菱村は、明治期から桐生川が県境となり栃木県に属してきた。交通
、通信、日常生活共に桐生と密接な関係にあったが、昭和大合併(昭和28年)の際も県を越えての合併を阻まれていた。ようやく、群馬県側が矢場川村の一部を分村移譲するという交換政策により、桐生市に越県合併されたのは昭和34年のことである。 |
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