太田から南西七二キロ、秩父連山の中に埼玉
県最高峰、三宝山(二四八三メートル)が望める。国土地理院の「点の記」では國師岳Uとなっている一等三角点がある。太田からは見えないが、その右向こうが奥秩父の盟主、金峰山(二五九九メートル)である。日本近代登山の先覚者、奥秩父の父といわれた郷土の誇る木暮理太郎は「山の憶ひ出」の中で、『金峰山は実に立派な山だ。独り秩父山脈の中に嶄然頭所を抜いている。…世に男の中の男を称えて裸百貫という諺があるが、金峰山は…百貫の貫禄を具えた山の中の山である…』と賛辞している。百名山の深田久弥氏のみならず山岳著書どれをとっても金峰山の項で引用しており、いかに理太郎の影響が強いかを物語っている。金峰山を望む麓の須玉
町金山平に建つ理太郎のレリーフは、今も上州から逆に見た秩父連山を見つめており、秋十月には碑前祭が催され、今も彼を慕う岳人が集う。 |
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