♪遥かに利根の歌を聞き、見渡す野辺の花香る、『彩
れ世紀』逞しく…♪市立西中校歌一番である。
戦前、戦後にかけて数々の流行歌を作った時雨音羽が作詞し、太高の音楽の教壇に立っていた定方雄吉が作曲、間もなく50年になる。辺りは昭和30年代まで旧市街の西の端で、地番も大字大島であった。裏の八幡山に登れば、北から西に上毛三山が鳥之郷たんぼの陽炎の彼方に広がり、南には市街地越しの緑の田園の向こうに、利根川が光って見えた。
歌のとおりであった。学校の南門の「カネマス」と東門の「福田」は文房具と一緒にパンや駄
菓子を商っていて、登下校の行き帰り、中学生の溜まり場だった。甘食、コッペパンが腹をすかせた部活の後のご馳走で、まだはやり始めのコーラは薬臭かった。貧しかったが、今のコンビニより活気があり、人の温もりがあった。
新世紀が始まった。西中ファイト。 |
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