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■渡良瀬川の橋 ■源地:栃木県と群馬県の境、皇海山(すかいさん)標高2143.6メートル、延長:107.6Km 、終地:茨城県古河 市で利根川に合流。 橋データは、栃木県足利市田中町661-3/ 国土交通省:関東地方整備局:渡良瀬川工事事務所 調査課さんより頂きました。 ■山といえば、やはり川。身近な親しみのある渡良瀬川にスポットを当て、そこに架かる橋を通じて、地域の風情を紹介していきたい、と思う。 まず、渡良瀬川について触れておこう。 足尾山地北端の皇海山(すかいさん)にその源がある。そこから流れて、扇状地に肥沃な大地を誕生させ、東へと進む。そして、茨城県古河市あたりで、坂東太郎と呼ばれる利根川と合流する。その長さは約百六キロメートル。この豊かな恵みは、周辺地域の生活と深いかかわりがある。というより、この川の水利権は、生死を左右するほど、貴重な川なのである。源義家の子義国は下野国(栃木県)を支配していたが、その長子の義重に渡良瀬川を越えて、新田荘を開拓させ、新田氏が生まれ、足利は義重の弟義康に任せ足利氏とした。この時から渡良瀬川を挟んで水利権で対立している。時代はさがり、新田義貞と足利尊氏との闘いへとつながっていく。 戦国の世になると、金山城主、由良氏と桐生城主、桐生氏とこの川の水利権をめぐって争いとなり、由良氏が、桐生城を攻めて落城させている。 日本の近代化とともに、公害の原点と呼ばれる足尾鉱毒問題が続く。足尾銅山は、明治十年代には、日本の銅の全生産量の四十%以上を占めていた。年産六千トンの銅山である。製錬所の大煙突から立ち上る煙りは、周辺の山々を枯れさせ、洪水によって、鉱毒が下流へ下流へと流れ、下流沿岸の農民の苦しみは想像を絶するものだった、と伝えられている。そして、その公害と闘ったのが、田中正造である。 |
松本ゼミ
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■知る事の喜び、 分かる事の楽しさを高め、愛と勇気に満ち溢れたWeb Masterの松本です。 人は僕の事を 「教育の殿堂」と呼びますが 全然照れてません、もっと誉めて! |