太田から見える山々

太田市は東京から北西に80キロ、JRや高速道路もなく「陸の孤島」と呼ばれている。
このサイトは、県外(圏外)在住者の方から「地元の情報に触れたい!」というメールに東山さんと深海さんに応えていただき、なおかつ二人 の絶大な広い心の御協力で立ち上がりました。


データの標高は海抜です。太田市金山は223メートルになっておりますが麓の海抜が40メートル程ですので見た目は180メートルという事になります。



渡良瀬川の橋


源地:栃木県と群馬県の境、皇海山(すかいさん)標高2143.6メートル延長:107.6Km 終地:茨城県古河 市で利根川に合流。
橋データは、栃木県足利市田中町661-3/ 国土交通省:関東地方整備局:渡良瀬川工事事務所 調査課さんより頂きました。

山といえば、やはり川。身近な親しみのある渡良瀬川にスポットを当て、そこに架かる橋を通じて、地域の風情を紹介していきたい、と思う。
 まず、渡良瀬川について触れておこう。
 足尾山地北端の皇海山(すかいさん)にその源がある。そこから流れて、扇状地に肥沃な大地を誕生させ、東へと進む。そして、茨城県古河市あたりで、坂東太郎と呼ばれる利根川と合流する。その長さは約百六キロメートル。この豊かな恵みは、周辺地域の生活と深いかかわりがある。というより、この川の水利権は、生死を左右するほど、貴重な川なのである。源義家の子義国は下野国(栃木県)を支配していたが、その長子の義重に渡良瀬川を越えて、新田荘を開拓させ、新田氏が生まれ、足利は義重の弟義康に任せ足利氏とした。この時から渡良瀬川を挟んで水利権で対立している。時代はさがり、新田義貞と足利尊氏との闘いへとつながっていく。
 戦国の世になると、金山城主、由良氏と桐生城主、桐生氏とこの川の水利権をめぐって争いとなり、由良氏が、桐生城を攻めて落城させている。
 日本の近代化とともに、公害の原点と呼ばれる足尾鉱毒問題が続く。足尾銅山は、明治十年代には、日本の銅の全生産量の四十%以上を占めていた。年産六千トンの銅山である。製錬所の大煙突から立ち上る煙りは、周辺の山々を枯れさせ、洪水によって、鉱毒が下流へ下流へと流れ、下流沿岸の農民の苦しみは想像を絶するものだった、と伝えられている。そして、その公害と闘ったのが、田中正造である。

松本ゼミ

知る事の喜び、 分かる事の楽しさを高め、愛と勇気に満ち溢れたWeb Masterの松本です。
人は僕の事を 「教育の殿堂」と呼びますが
全然照れてません、もっと誉めて!


株式会社 西毛印刷
代表取締役 綿貫 一幸
  
〒377-0424 群馬県吾妻郡中之条町中之条1092-1
TEL 0279-75-3038:FAX 0279-75-5362
http://www.agatsuma.ne.jp、info@agatsuma.ne.jp